「分かりあうことが不可能な違い」

アメリカでの離婚の理由としてたびたび耳にする “irreconcilable differences”。日本語では「相容れない違い」などと訳されます。

話し合っても努力をしても、妥協したり折り合いをつけたりすることができないほどの違いなので、もう別れます…というニュアンスです。

日本での離婚の理由のひとつ「性格の不一致」にあたるとも言われますが、性格なんてみんな違うものなので、正確には “irreconcilable differences”と同じく「折り合いをつけることをあきらめた」ということになるのでしょうか。

同じ人間はふたりといません。ひとりの他人と生活をともにし、時には財産や時間、子どもなどの家族を共有し、人生を一緒に送りましょうと決めても、どうしても「理解できない」とか「賛成できない」ということは出てくるでしょう。

お互いに「どうしても相容れない」と思うような信条は、幼少期の体験からなどをもとに長い時間をかけて作られるか、あるいは強烈な経験などによって形成されたものがほとんど。簡単に説得されて考えを変えられるものでもないのでしょう。

執筆したばかりのDressの記事は「政治・宗教」というテーマでしたが、この記事に書ききれなかったことがあります。

それは、キリスト教や仏教など、一般的に知られている宗教というカテゴリにあてはまらなくても、ある人にとって「これが真実だ」と思う、その信条の強さは宗教的と言ってもよいということです。

例えばこちらの記事

「トンデモ」健康情報で家庭が崩壊した男性が語る、元妻の「変化」

このストーリーの中の「妻」は、(客観的には科学的根拠のないものだったとしても)人から聞いた健康情報を、生活を変えるほど強く信じるようになり、それがパートナーとの間の亀裂の原因になりました。

こういった記事を読むと「私たちは大丈夫、こんなことにはならない」と思う人が多いでしょうが、本当にそうでしょうか?

これだけ情報が溢れ、体験の種類も限りなく細分化されている世の中で、いつどんなときに誰に心を動かされ、その結果何が起こるか、予測するのはほぼ不可能ではないでしょうか。

私は、何事も「自分たちは大丈夫」と思うよりも、こういった可能性が少しでもあるということについて考えたり、パートナーと話し合ったりしておくほうが健全なのではないかと考えています。

結婚しようと考えているふたりであれば、人生を分かち合い、できるだけいい関係を維持しようとする努力をどこまでできるのか?不測の事態が起こったときにはどうするか?というところまでシミュレーションできれば、未来に対する不安も少しやわらぐし、危険な兆候に対するアンテナを立てることもできるので、より安定した関係を築けるのではないかと思います。

ふたりの間の違いを“irreconcilable”(相容れない、妥協できない)かどうかを決めるのは、結局のところ当の本人たちなのですから。

 

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